おせち料理 重箱 意味

おせち料理の重箱にはすごい意味があった!重箱に秘められた思いとは?

新年明けましておめでとうございます!!

 

お正月の楽しみといえば、おせち料理ですね。

 

 

重箱に詰められたおせち料理を食べるのが、お正月の楽しみの一つでした。

 

 

おせち料理を詰めるのは、重箱を使いますが、この重箱には意味があることをご存知でしょうか??

 

ちゃんとした意味があるんです。

 

 

「めでたさが重なるように」との願い

 

 

「福を重ねる」
「めでたさが重なる」

 

など、幸せが重なるようにという願いを込めて、重箱に詰め、何段も重ねているわけです。

 

 

 

他にも重箱にする理由がある!

 

 

 

おせち料理はお正月の間はお母さんもゆっくり休んでもらうという意図があります。

 

毎日忙しい母親を休ませるために、おせち料理があるときいたことがあります。

 

そのためおせち料理には、

 

保存のきく煮物などの料理が多いんです。

 

ただ、保存がきくとはいえ、昔は、冷蔵庫やラップなどがない時代。

 

おせち料理は何日かに分けて食べるので、ホコリや虫が入らないようにフタも必要でした。

 

 

保存する容器が問題でした。

 

 

そこで大抜擢されたのは、重箱なんです。

 

重箱は積み重ねればフタの代わりになります。

 

 

さらに積み重ねることでスペースをとらないですよね。

 

重箱は、省スペースに向いているわけです。

 

 

 

保存に向いた容器

 

さらに

 

積み重ねてすっきり収納できる容器

 

この2つの点で便利ということで

 

、おせち料理には、重箱が利用されています。

 

 

重箱は外を黒塗り、内を朱塗りとしたものが正式

 

 

 

 

重箱って何段??

 

 

特に決まりがないような重箱。

 

家庭によって何段かは様々だと思います。

 

 

ただ、

 

五段が正式という説

 

四の段が正式という説

 

の二つに分けられています。

 

 

四段が正しいという人

 

理由は、
「春夏秋冬を表す」といわれたり、「完全」や「安定」を意味していて縁起がいいから。

 

さらに、日本人に好まれている「三」という数字を超えてさらに縁起がいいからという理由から

 

重箱は四段がいいと行っている人がいます。

 

 

五段が正しい

 

五段重における五の重は土用を表すといわれる

 

 

五の重の内容も諸説あります。

 

・五の重の中身は空っぽにする

 

・なますや酢の物を詰める重であるとする

 

・「控えの重」として多めに御節料理を詰めたりする。

 

・家族の好物を詰めるために用いられる重であるとする。

 

 

など、色んな説があります。

 

 

五の重を空っぽにするわけ

 

2つ理由があります。

 

1 神様からいただいた福をつめられるように

 

2 来年いっそう繁栄して スペースにたくさん料理が詰められますようにという祈願をこめて

 

 

 

四の段は「与の段」

 

 

日本人は、「四」は死を連想させるものとして、嫌われています。

 

忌み数と呼ばれ、現在においても避けられている数字です。
漢字を使う国では共通認識のようです。

 

エレベーターでは4階という表記がないところもあります。

 

そこで四の段のことを

 

「与の重」と表記して「よのじゅう」と呼んでいます。

 

 

 

 

 

料理の詰め方

 

 

それぞれの地域や各家庭によってさまざまです。

 

基本的な詰め方

 

 

 

一の重には「祝い肴」を入れます。

 

お酒のおつまみになるような料理が詰められています。

 

 

田作りや黒豆、数の子、きんぴらごぼうなど

 

 

二の重は「口取り」

 

大人から子供まで食べられるように甘いものが中心

 

かまぼこ、栗きんとん、だて巻き、昆布巻きなど

 

 

 

三の重は「焼き物」

 

焼き魚やエビなど海の幸が入っています。

 

 

与の重は、「煮物」

 

山の幸を使った煮物、野菜の煮しめや筑前煮など

 

 

五の重 様々な説

 

 

 

 

 

おせち料理の由来

 

 

宮廷行事である節日(せちにち・現在のお節句のこと。)に行われる宴や「節会」(せちえ)で振舞われた「御節供」(おせちく)

 

 

のご馳走が、後に「おせち」と省略されました。

 

それがいつしか節日の中で最も重要とされる「正月料理」のことを指すように。

 

 

庶民も生活に取り入れるようになりました。そこからおせち料理は全国的に広がっていきました。

 

「御節供」というご馳走は、当時は、高盛りになったご飯でした。

 

 

 

当時、神様にお供え用の料理と、実際に食べるための料理は別でした。

 

 

 

江戸時代の頃は、おせち料理のことを

 

関東では 食積(くいつみ)

 

関西では 蓬莱飾り( ほうらいかざり)

 

と呼ばれ、

 

床の間などに飾っていました。

 

 

 

江戸時代後期に御節(おせち)という呼び方になりました。

 

当時は、御膳などに備えたものをおせちと呼びました。

 

 

 

実際に食べる重箱に詰めたものを食積と呼び分けていました。

 

 

 

 

明治・大正と時代が進むにつれておせちと食積が次第に一つになっていき

 

現在のおせち料理に確立したわけです。

 

重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は第二次世界大戦後

 

デパートなどが見栄えの良い重箱入りの御節料理を発売したことによるとも言われています。

 

 

 

 

最後に

 

正月に食べるおせち料理をつめる重箱には意味がありました。

 

おせち時代は歴史が古いですが、重箱にされてからは歴史が浅いようです。

 

元々は、御膳と食事に分けられたものがいつの間にか1つに統合されています。

 

さらに、初期と違い、詰めるものも大分変わってきました。

 

それは、その時代時代に生きる人がどういう思いでおせちを作り、食べてきたがわかる気がしますね。

 

おせちは、年に1度の母親の休むための料理。
決して間違っていませんが、さらに深い意味が隠されているような気がしますね。